辞令 ドクターM 11月1日より〇〇長を命ずる。
この時期の人事異動は、ほぼワケアリ案件でございます。4月始まりの年度区切りで運営している会社は、期初の4月や中間期初の10月に大型の異動があるのが通例でしょう。今回、どんなワケがあったのか、話を聞いてください。愚痴っぽいかも?
私は民間企業の研究部門に所属しており、その中のとある研究グループのメンバーとしていくつかのプロジェクトに関わっています。組織は比較的フラットというか浅い階層になっていて、〇〇長の下に研究メンバーが年齢や経験問わず横並びでぶら下がっています。
様々なプロジェクトに柔軟に対応できるように、組織を固定せずプロジェクトの内容に応じて適切なメンバーを配置します。複数プロジェクトに関わる者もいれば、他部署の人とチームを組むこともあります。④番恵まれすぎていない??
仕事は〇〇長にホウレンソウ(報告、連絡、相談)しながらも、プロジェクトチームのリーダーが主体的に進めます。メンバーだけで進められない場合は、研究予算の範囲内で社外の人を使ったり。
日々のノルマなどは無く、決められた期間内に成果を出すのみ。つまりやることさえやれば(成果さえ出せば)、研究の過程を問われることはありません。このシステムは研究者としては非常にやり易く、自分の思うようにプロジェクトを進められます。
というわけで、私がリーダーのプロジェクトは、ほぼ毎日定時(17時)まで集中してやって、ダッシュで帰って17時15分には家にいるという日々を送っています笑。子供が小さいので、寝かせるまでのひと時を楽しむために。近所の奥様方に「ドクターMは毎日明るい内に帰宅してるけど大丈夫なの?」と心配される有様です。もちろん遅くなる時もあります。
現在の〇〇長の異変
さて、現在の〇〇長を仮にDさんとしましょう。Dさんは私の8歳上で〇〇長歴は6年。つまり、私とほぼ同じ歳の頃に〇〇長になっています。マネージャーポストに就くにはちょっと早く、ここにもワケがあったのですが、それは後ほど。
9月の中旬頃から急にDさんの様子がおかしくなりました。以下のような症状。
- 目が死んでいる
- 誰が何を話しかけても生返事
- コミュニケーションを取ろうとしない、取りたくない様子
- 四六時中汗を拭いている
- しょっちゅうどこかに消える(散歩?)
- 昼食を食べない
- 休憩時は死んだように寝ている
私を含め周囲の人はすぐに異常を察知して、「体調悪いんですか?」などと話しかけるも、「大丈夫」と。その質問は受け付けない、何も話したくないというオーラ全開で一週間が過ぎました。翌週も状況は変わらず、むしろ悪化・・・。Dさんの上席の役員も異変に気付き、本人にヒアリングするも頑なに「何でもない」を貫きます。
メンタルヘルスに異常を感じたら何ができる?
私も上席に呼ばれて、何か心当たりはないか、どうすればいいだろうかと聞かれました。状況からして、メンタルヘルスの異常であることは間違いなかろうというのが共通認識。そうであれば、心療内科などの専門医に導くことが最終目標になります。
しかし、これはかなり難易度が高いと感じます。少なくとも本人がメンタル異常であると自覚していなければ心療内科に行こうという発想にならないからです。
我々ができることは、ただ話を聞くことだけだ(話を聞いて何かを解決しようというのではなく、誰かに話すだけで気が楽になるかもしれないという期待)ということを確認しました。話してくれるまで粘り強く、ただし、負担をかけないように、ヒットアンドアウェーを繰り返すことにしました。
このような時に「大丈夫だから頑張ろう」とか「サボってはダメだよ」などと言ってはいけません。超逆効果です。サボっているように見えるかもしれませんが、本人は精一杯のことをしているのです。いや、精一杯やろうとしているけど身体が言うこと聞かないのでしょう。
そうこうしていると、三週間目にDさんは私を密室に呼び、ぽつぽつと語り始めました。私は相槌を打ちながらもほぼ黙って話を聞いていました。要約すると以下のような話でした。
- 自分は研究者としての能力が低いと思っている(自己否定)
- 後輩はドクターになれたのに自分はなれなかった(汗)
- 産官学の学の部分(大学や学会)に関わるのが超苦痛。周りが皆偉そうに見える(劣等感)
- それなのに代表者のようなポストに就いているのが耐え難い(6年もやっているのに突然?)
- 研究や技術と無関係な雑用ならできそう(自己分析)
- 今のポストを降りて、雑用係になりたい(希望)
とにかくマイナス思考ループ全開で、どんどんブルーになって、どうにもならなくなったと。夜も全く眠れず、何もやる気が起きず。そんな中でも原因と対策を自己分析できているのは幸いでした。上席にも同じ話をしたようです。
もしも、Dさん自ら話してくれなかったとしたら、他に何ができたのか。かなり難しいと感じました。家族に協力をお願いするしか無かったかもしれません。
上席の神速対応による事態改善
話を聞いた上席は、数日内に対策案をまとめ、本社役員の了解を取り付けてきました。その対策案は、私を〇〇長に差し替え、Dさんは研究部門の中の事務要員へ異動させるというものです。
普通の状態でこんな人事がなされると屈辱以外の何者でもないと思いますが、Dさんにとっては希望通りでこの上なく幸せ。みるみる内にDさんの症状は改善され、今はもう普通以上に元気になっています。それほどまでに密かに長年苦痛に感じていたとは痛み入ります。
元気になったので、ポツポツと「その時」の話をすることもあります。曰く、実務者とマネージャーの境界をキッチリ分けることができなかったことも負担だったと。ただでさえ大変で不慣れなマネージャー業に加えて、実務も以前のようにこなそうとしていたのがダメージとして蓄積されたのかもしれないと。
我が身にそのようなことが起こった時に、メンタル異常の可能性を自分で察知できるように、また、その際は専門医にかかるという発想を持てるように知識を身に付けておきたいと思います。自分には関係ないよと思う人も、明日は我が身かもしれませんよ。
今回はとりあえず解決できて良かったわ~と思うのですが、私自身の今後の行く末を心配せねばなりません。私が置かれている状況は、Dさんが〇〇長になった時と酷似しているのですから。
私の上司遍歴
Aさん
入社した時の上司。最低最悪の自己チュー野郎。退職した部下、希望して他部署に異動した部下多数。打合せ途中でブチ切れて帰った業者も多数。部下全員で「早く辞めろ」と毎日お祈りしたのが通じて、私が入社8年目の時に大学教授へ転職。残された者は、盛大な祝宴を開催。
Bさん
順当にポストに就いた人格者。Aさんとは比べるまでもなく、一気に仕事がやりやすくなる。上司によってこんなにも変わるのかと実感。しかし2年目に職場で倒れて急逝(大動脈解離)。Aさんに過大な負担を強いられたツケに違いない。
Cさん
全く違う部門からマネージャー専業として緊急登板。専門的なことは分からないので苦労するも、割り切ったマネージャーもそれなりに仕事がやりやすい。近い将来Dさんに引き継ぐ前提だったので2年で降板。
Dさん(今回の主役)
過去の事例からすると少し早めながら、他に選択肢がなく登板。もしかしたらこの時から本意ではないと思っていたのかもしれません。もっと実務をやりたかったのかも。私からすると上司というより先輩という関係で仕事はやりやすい。性格は真面目で細かいところまで気にするタイプ。しかし、この度6年目で降板することに。
技術部門のマネージャー業心得
日本の会社組織にはまだまだ昭和システムが根強く残っています。我が社も例外ではなく、マネージャーポスト(〇〇長など)に就くのは年功序列が基本です。実務をやっていた人がある日突然マネージャーになるのですから、うまくいく方が稀なのかもしれません。技術部門の実務とマネージャー業は、仕事内容が全く違うのです。
実務者は、関係しているプロジェクトのことだけ考えて没頭していればOK。ある意味幸せです。自分に関係ないプロジェクトのことは眼中にありません。
しかし、マネージャーは全てのプロジェクトの責任者。自分が深く知らないプロジェクトでも方向性を決めたり進捗管理をしなければなりません。それに加えて、部下の労務管理、予実算管理、各種承認等々のいわゆる「雑務」がテンコ盛りです。自分が実務者時代の仕事を引き続き持って、プレーイングマネージャーなんぞになろうものなら早晩破綻するのは目に見えています。
私は急に振られたので、しばらくはプレーイングマネージャーにならざるを得ません。色々なプロジェクトを見ていると深入りしたくなることがあるかもしれませんが、それが一番危険な香りがします。基本的には実務者に任せる広い心が必要そうです。
実務の楽しさに後ろ髪を引かれながらも、徐々にマネージャー業に軸足を移していこうと思います。新たな仕事を始めるという心構えでイチから勉強です。少なくとも「早く辞めろと毎日お祈り」されないように頑張ります笑。
最近はDさんから業務引継ぎをする毎日です。あまりに多い雑務に今から辟易(´・ω・`)
でも、これからも定時ダッシュするぜぃ(≧▽≦)ゞ
おまけ
〇〇長になれば待遇も上がるんだろうね!と思われるかもしれません。安心してください。何も変わりませんから・・・。
以下の記事にあるように、賃金と役職は「別物」なのです涙。
さんざん出てきた課長級や部長級などの階級は、賃金を決定する上でのランクです。これとは別に、実際に◇◇課長や△△部長という役職に就いてからは、部下のマネジメントが主な仕事になり、はっきり言って楽しくありません。
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